氷舞



目覚め、そして私は悟った。
真の危機が迫っている事を。


もう一人の家族の来訪。
それは同時に―――奴の来訪。


崩落する灰色の壁。
絶え間なく揺れる、地下の空間。
けたたましく鳴る警戒音と、どこかで昇る火炎の蛇。


既視感ではない。
限りなく予知に近い、予感。


あの時、私は守れなかった。
スバルを連れて行けなかった。


・・・私は、ゼロに敗れたのだ。そして、スバルを一人にしてしまった。


だが―――――


「刺し違えよう等とお思いなら無駄な事ですよ、アルテア・・・」
「どうかな!?・・・今日はできるやも知れんぞ・・・!」


陥落したGEAR本部で、私はゼロとの再戦に臨む。
(守るのだ―――今度こそ)
あの時の、本星での戦い―――この地に再現などさせぬ。
これが二度目の―――そして、最後の戦闘にしなくてはならないのだ!
(もう、スバルを一人残しはしない・・・・・!)



電童本vol.6□□「氷舞」 □□□□□□□□前編□□




ネオングリーンの光に満ちた、高濃度液体酸素の檻。
うっすらと意識が開いては、緩やかに底へと沈んでゆく。

剥落する、偽りの記憶。
自分という名のジグソーパズルを、押し潰さんと嵌められた別の絵。
(・・・ベガ・・・)
それは皮肉な好機。
記憶の改変の為に、私の封印が解かれて行く。
最も強く浮かび上がるは、遠く離れた妹の面影。
(―――私は―――)
逃しはしない。
持てる意識を総動員して、残る記憶を手繰り寄せる。
(―――私は―――忘れぬ―――)
塗り篭められたピースを集め、貼り付く偽りを無理やり剥がす。
(目覚めなければっ・・・・・!)


寄せてはさらわれる砂と波―――徐々に、しかし確実に。


何度も手を伸ばし、その度に何度も阻まれる。
思い出したものですら、赤く染まる水が奪い取る。
(・・・このままでは沈む・・・!)
半覚醒のままで、私は長い戦いを続けていた。
記憶はほぼ、取り戻していた―――が、今度はそれを攫い返さんと、赤く明滅する水が襲うのだ。
完全な覚醒は、記憶の回復を知らしめてしまう。
さりとて、完全に眠ってしまえば―――おそらく、根こそぎ記憶が奪われる。
この水は私の身体に、眠りへの誘惑を絶えず仕掛ける。
覚醒を押さえるよりも、この誘惑を退ける方が困難。
(どうすればいい―――)
今の私には、首から上の自由しかない。
(―――――痛みを―――――)
眠らない為に、精神に楔を―――――!!
(・・・・・っ!)
震える唇を僅かに開き、舌を切らぬ様に浮かす。
そして―――
ガッ!
(―――――!!)
口内に歯を突き立てて、無理やりに自分を引きずり戻す!
(・・・んっ・・・!)
己で与えた激痛に、開きかけた眼を押さえ込み耐える。
舌に触る、生暖かい血の味。
決して慣れないこの不快さも、今の私にはむしろ僥倖。
精神に障るこの感覚が、意識と記憶を繋ぐのだから。



・・・・・そうして、私は耐え切った。
全ての記憶を取り戻し、目覚める―――――そして。



ドォォンッ!!



あり得ない、地面の揺らぎ。
何の脈絡もない所から、連鎖的に引き起こる強制終了。
機獣たちの間に、動揺と混乱が走る。
至る所で引き起こされる、システムの暴走を止めようと奔走する。


(・・・・・仕掛けた足止めは、長くても10分!)
混乱と爆音の中、私は疾走する。
あれを迎えに行くために。



キンッ!
有無を言わさず、私は扉を斬り飛ばす!
既に外部からは開かぬ様、セキュリティが働いているのが判りきっているからだ。
ガゴァッ!!
盛大な音を立てて、扉だった物は瓦礫と化した。
「・・・!?」
部屋の主がビクッ、と振り返る。
若紫を基調とする正装、薄色に黒い袖覆輪が動く。
「―――スバル」
「兄上!?」
紅玉の瞳が見開かれる。
長い金の髪を持つ少年―――スバル。
―――――私の―――――
「兄上・・・もう動いてもよろしいのですか・・・?」
いつもの仮面と、以前とは趣を異にする和装の私に、多少驚きながらもそう言う。
気遣ってくれるのは嬉しいが、今は本当に時間がない。
「・・・来い」
「え?」
「私と共に来い―――スバル!」
「!?」
吃驚の声を上げる彼を、私は小脇に抱きかかえた。
そしてそのまま、全力で走り出す。
「いっ・・・一体何をっ!?降ろして下さいっ!」
「許せスバル!時間がないのだ!」
「兄上っ!!」
「苦情は後で聞く!!口を閉じろ、舌を噛むぞ!」
ダンッ!
廊下を走りきり、植え込みを飛び越え、最短距離を突っ切っていく。
目指すは戦艦の格納庫―――私の船となった、アルデバラン。
そこに、凰牙も収納されている。
(早くこの星を脱出しなければ・・・!)

ドォォォンッ!!!
遠くで響く、爆音。
仕掛けた自爆命令が、忠実にタイマーで起動する。

当然、その音は私達にも聞こえている。
「なんっ・・・・・!?」
スバルが絶句し―――――首を捻って私を見上げる。
「兄上・・・・・何なのです・・・・・まさか兄上が!?」
「―――――」
答える時間も惜しい。
―――――否。
(答えたくないのか?・・・事の次第をスバルに)
この、繊細な精神の持ち主が、己の真実を知った後が怖いのか。
―――――敵―――――
彼に、スバルにそう見られるかもしれない事が。
(・・・・・っ!)
―――――また一つ、妹の苦悩と、私の罪深さを思い知る。
罰は甘んじて受けよう―――この身一つでは軽すぎるであろうが。
為すべき事が終わったならば、逃れようとは思わない。
だが、悔いも懺悔も償いも、今の私が為すべき事ではない。
今は―――――スバルを。
「―――――兄上お答え下さいっ!!今の音・・・何が起きているので・・・ぐっ!?」
「危ないから喋るな!」
これだけ派手に動いているのだ。自分の洗脳が解けたのを、すでに皇帝は察知しているだろう。
だが、自分だけ逃げる訳にはいかない。
GEARをここに置いて行くなど問題外だ。
それに―――スバルを。
「・・・兄上・・・どこに向かわれているのです・・・っ」
耳元で渦巻く風の中に、切れ切れのスバルの声が聞こえる。
「アルデバランだ―――」
「アルデバラン?」
ザザァッ・・・!
最後の生垣を飛び越えて、私は無音の回廊に着地する。
本当に真っ直ぐ来た為に、既にここは戦艦の接舷港。
ここを抜ければ―――
「アルデバランにどのような御用が―――」
「・・・・・この星を出る」
足を止めて―――私はスバルにそう告げた。


―――――それは困ります―――――


「!?」
「ゼロ?」
その声は、今一番聞きたくない者の声。
(・・・来たか・・・!)
カツン・・・
靴音が近付いてくる。
―――最大の―――最悪の障害。
・・・カツン・・・
―――噴き出す冷汗は、貼り付く圧迫。
「・・・兄上?」
「・・・・・」
私は、スバルをそっと降ろした。
おずおずと見上げる双眸。
「あにう―――」
「・・・下がれ、スバル」
見返してやる余裕が無い。
前から視線を切る事ができない。
「・・・しかし兄上、あの声はゼ・・・」
「下がれ」
「・・・・・」
重ねて言った私の言葉に、流石にスバルは数歩離れる。
・・・カツン・・・
背筋を這い上がるこの寒気は、認めたくはないが・・・恐怖。
現れた、この存在に対して―――身の内に巣食う戦慄がざわめく。
眼が揺らぐ。
膝が震える。
・・・十七年の内に、刷り込まれた感覚。
(・・・・・!)
私は左手を口元に上げ、親指の付け根に歯を立てた。
鈍い痛みと、僅かな血の味―――――精神を恐怖に呑まれぬ様、私自身を制御する。
(戦うのだ―――そして、勝たねばならん!)
・・・カツン。
響く音が、ぴたりと止まる。
「―――どこへ行かれるおつもりですか?」
人影が一つ―――――否。
あれは人ではない。
白い衣装の機士―――朱色の棍を携えて。
我らが星の服を纏い、人型を取ったガルファの要。
・・・私を、阻む。
「この星を出るのだよ―――私達は」
耳元に手をやり、留め金を排除する。
「・・・・・出る?」
カシャンッ・・・
擦れる金属音。
「・・・ほお・・・これはこれは・・・」
仮面を―――――外す。
「―――――!!!」
背後ではスバルの、驚愕の気配。
前方では、ゼロの冷えた笑み。
長く伸びた私の髪が、濡れた艶を陽に晒す。
「・・・・・あ・・・に・・・うえ・・・・・?」
「―――スバル、アルデバランへ行け」
釘付けの視線が、ゆるゆると持ち上がる。
初めて目にするだろう、私の素顔に。
「・・・兄・・・上・・・?」
「スバル、よく聞け―――お前は行くのだ。アルデバランに。そして、地球に―――」
「兄上っ・・・何を仰って・・・?・・・地球・・・ですと?」
「そうだ。着いたら自動航行モードを起こし、行き先が地球と出たら迷わず発進させろ。着くまで十分に耐えられる環境の筈だ」
「・・・判りません!兄上が何を意図しておられるのか・・・兄上はどうなさるのです!?」
スバルが駆け寄ろうとする。
「来るな!」
「!!」
鋭い静止にびくんっ、と身体が止まる。
「―――――行くのだ」
「・・・・・」
絶句してスバルは立ち尽くす。
「・・・やれやれ・・・何を言うかと思えば・・・」
ゼロの声が滑り込んだ。
「スバル様」
穏やかな微笑で語りかける。
「兄上様は錯乱しておられるのですよ。後は私が責任を持ってお預かり致しますので、スバル様は自室にお戻り下さい」
「聞くなスバル!行くんだ!!」
「スバル様、さあ―――」
「黙れ!!」
叫び、ゼロの声が届かぬ様に重ねる。
「スバル、行け―――――」
「兄上っ・・・!」
己の血に濡れた唇で。
「―――――走れぇっ!!!」
「・・・っ!」
その声に押され、スバルが回廊を出た。
「スバル様!」
ゼロが身を翻す。
そして―――――
「―――――ゼロォォォォォォォッ!!!」
―――――裂帛の気合と共に、私はゼロへと跳躍した。



中篇へ続く




氷舞
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