「はい」 コンコンという静かなおとないの音に、ベガは応じた。 「ベガ、用意はできたか?」 扉を開けずに聞いてくる声に、ベガは薄く微笑む。 「はい、入ってらして結構ですわ」 「そうか」 そう言うと、ガチャリと音がして扉が開く。 「兄上」 ニッコリ笑うと、花嫁衣装を着たベガは言った。 「ほぉ〜、これはレアに負けず劣らず、化けたな」 クスクス笑って言う兄の言葉に、ベガはむくれる。 「その言い方、おじいさまソックリ」 その反応に、アルテアは終始悪戯な瞳でベガを見据える。 「兄上こそ、お化けになりましたわね」 「そうであろう? まったくこんな堅苦しい礼服はごめんこうむりたいとアルゴ殿には何度も言ったのだがな・・・」 シレッと返しつつヤッコダコのようにそでを引っぱるアルテアに、ベガは呆れた視線を向ける。 「まぁ、これから王になられるお方が、そんな子供っぽいマネをなさいますな」 「しかたなかろう? まだ馴染めぬのだから・・・」 苦笑を浮かべて返すアルテアに、ベガはフッと笑った。 「やっぱり、気になさっておられるのですか? “皇太子”に任ぜられなかったこと・・・」 「まぁ、少しはな」 そう言うと、アルテアはベガの背中を応接セットへと押した。それにおとなしく従うと、ベガはソファに腰をかけた。 「そうでなくとも、この17年間、右も左も分からぬまま生きてきたのだ。王家嫡男だからという理由のみで、王位を継承して良いものかどうか・・・」 ベガに背を向けてティーセットを取りつつ、アルテアは言った。 「そんなこと、父上やおじいさまはお気になさりませんわ。兄上は立派に王位を受け継ぐにふさわしい器と思います」 振り向いて微笑むアルテアの顔は、自嘲が微かに見える。 「そうもいかぬさ」 ティーセットを運びながら、アルテアは言う。 「あの折の失態、父上やおじいさまには申し開きのできぬ仕儀ゆえな」 「あれは兄上のせいではありませぬ。あんなことが起ころうなど、誰も予測できませなんだ」 言い募るベガに、サラティスの入ったカップ&ソーサーを差し出すと、アルテア自身もその向かいに座った。 「したが、私が“立太子の儀”をすませられなんだのは事実。それを突かれれば、こたびの戴冠式そのモノがご破算となる。それでは式を整えてくれた者たちに顔向けができぬ」 「そうやって周りの方々を気遣われることこそ、王の器でございます」 シレッというベガに、アルテアはフッと笑う。 「ホント、お前は父上の性格によく似てきたな」 「あっ、私はあそこまでからかい好きではございませぬ」 プクッとふくれるベガに、アルテアは思わず吹き出した。 「そんな顔をすると、化けの皮がはがれるぞ」 「人を化け物みたいにおっしゃらないでください」 「私の目には、十分化け物に映っているのだが?」 「兄上!!」 金切り声をあげるベガを無視して、アルテアはサラティスを口に含む。 (もう、兄上ったら・・・) むくれた表情のまま、ベガもサラティスを口に含む。それは、子供の頃の懐かしい味であった。 「兄上は、相変わらずお上手ですね」 フッと口許を緩めると、ベガは言った。 「この味、私がむくれた時には、いつも兄上がこれを煎れてくださいました・・・」 「あぁ、後こんなモノもあるが?」 袖もとから小さな紙の包みを出すと、アルテアはテーブルに広げた。 「まぁ、兄上ったら」 思わず吹き出したベガに、アルテアは悪戯な笑みを浮かべる。 「母上直伝のカルロッタ、スバルにねだられてこっそり用意してみた。お前は毒味役だ」 「はいはい、毒味させていただきます」 懐かしいほろ苦さが口に広がり、ベガはその味を堪能する。 「母上が亡くなられて3年、兄上ったら私をごまかすためにいろいろやってくださいましたものね」 苦笑を浮かべたアルテアは、思い出すように目を閉じた。 「あぁ、いつバレるかと冷や冷やしどおしだったが、分別がつくまでなんとかごまかしきったものな」 「ホント、あの折はご苦労様でした」 「いやいや、どういたしまして」 そう言うと、2人はどちらからともなく笑い出した。 「で、圭介さんの控え室はどちらですの?」 「それは教えられぬ」 ニヤリと笑ったアルテアは、楽しそうに言った。 「北斗たちの控え室も教えぬぞ。私だけが行き来できるようにしておいたゆえな」 「まぁ、教えてくださってもよろしいではありませぬか」 「その時までお互いの姿を知らぬ方が、後々楽しいであろう?」 茶目っ気全開のアルテアの瞳に、ベガはため息をついた。 「兄上こそ、父上ソックリですわ」 「父上ほど、悪趣味ではないさ」 笑ってそう言うと、立ち上がったアルテアは窓辺に近寄った。 「今日がいい天気でよかった」 その後を追うように、ベガも窓辺に寄る。 「えぇ、ホントに・・・」 そう言ったベガは、アルテアの顔を見据えた。 「時に兄上、今回はお付き合いいたしますが、2度はございませんのでそのおつもりで」 「あっ、バレたか」 ペロリと舌を出すアルテアに、ベガは言う。 「まったく・・・。自分一人目立つのがイヤだからと、私や圭介さん、果ては北斗たちまで巻き込むのですもの。ホントに2度はございませんからね」 腰に手を当てて怒るベガに、アルテアは全開の笑顔で応えた。 「はいはい、分かっておりますよ。ベガ王女殿」 「兄上、本気で怒りますからね」 「はいはい」 そう言うと、アルテアは外へと視線を向ける。 「ホントにもう、そういう悪知恵だけは働くのですから・・・」 呆れ気味のベガの言葉も無理はない。本来ならばアルテアの“戴冠式”のみのはずが、アルテアの強引な論法で、ベガと圭介の結婚式、そしてギアコマンダーの所持者たる北斗と銀河、それからギアコマンダーを輝かすことができるスバルのお披露目もすることになったのだ。 「いいですか、兄上。ホントにもうこれっきりですからね」 念を押すベガに、終始笑顔のアルテアは言った。 「でも、そのおかげでお前は親孝行できたではないか」 「えっ?」 クスクス笑いつつ、アルテアは言った。 「娘の花嫁衣装、両親へのはなむけには格好のシチュエーションだと思うが?」 その言葉に、ベガの顔は曇った。 「こらこら、そんな暗い顔をするな」 穏やかな笑みを浮かべて、アルテアは言う。 「父上もおじいさまも、母上もおばあさまも、お前のそんな顔など望んでおらぬぞ」 「兄上・・・」 ベガの肩に手を置くと、アルテアは言った。 「お前を庇って死んだバロスやレア、愛する者と結ばれる喜びも知らずに散ったであろうリシャのためにも、お前は幸せにならねばならぬのだぞ」 見上げるベガの顔は、苦悩が滲む。そんなベガにフッと笑顔を向けると、アルテアはその額に優しいキスを落とす。 「兄上・・・」 「ベガ、幸せにな」 そう言うと、アルテアはドアへと向かって歩き出す。その背中は、いつになく切なくベガの胸を締め付ける。 「では、またな」 優しく微笑んで部屋を出ていくアルテアに、ベガは何も言えなかった。 (兄上・・・) 閉じられた扉の向こうに、過去の幻影が映る。母の死を取り繕うために、慣れない料理やお菓子を作ってくれたアルテア。自分を庇うため、父といつも言い争い、時折負けていたアルテア。いつも側で優しく見守ってくれたアルテア。 (本当に、私は守られていた・・・) かすかな希望を自分に託して、この星の人々のほとんどが命を落としていった。それが、17年前にただ1人だけガルファの手から逃れさせられた事実として息づいている。 (そして、私の幸せとは逆に、兄上は地獄の日々を過ごされた・・・) 残ってガルファと対峙しその戦いに負け、記憶を封印され17年をガルファの手ゴマとして過ごしたアルテア。また解けかけた封印のために、新たな偽りの記憶を植え付けられ、地球に現れたアルテア。あの炎の中でやっとすべての封印が解けた時も、自分の命を省みずベガを電童に託したアルテア。 (でも、いかなる時も、兄上は微笑んでおられた・・・) その微笑みに自分がどれだけ勇気付けられてきたかは、言葉に尽くせない。それほどまでに強い兄アルテアは、今も笑顔を絶やさない新たな時代の指導者としてその歩を進めることとなった。 (それなのに、兄上は・・・) “これ以上のことなど、望めぬ身でもある” その言葉とともに自嘲の笑みを浮かべたアルテア。その奥にどれほどの苦悩があるのか、ベガですら計り知れない。しかし、そんな苦悩をあれ以来一片たりとて見せようともせず、穏やかに笑い日々を生きているアルテア。 (兄上は優しすぎる・・・) その優しさと強さに、ベガの胸は締め付けられる。今も妹として愛してやまない大好きな兄アルテア。その前で、自分が涙を見せることはとても心苦しい。だから泣けない。それでも、心が張り裂けて泣き叫んでいる。 (兄上はもっと幸せになるべきなのに・・・) 心からそう思うが、それを告げたとたんにアルテアが苦味を含んだ微笑を浮かべるのが目に見えている。だから言わない、いな言えない。それがなおのこと苦しい。 「兄上は、バカよ・・・」 うつむいたベガの瞳からは、涙がこぼれ落ちた。 (終わり)
蛇足 この駄文は、火曜サスペンス劇場のED、“ANRI”さんが歌う『Tears In Crystal』にインスピレーションを得て書きました。 よろしければ、そちらの方もご確認を…。 (でも、まるっきり違う世界になったような気が…) | |||